マイナスが覆ることは無い
小学2年生の頃だった
先生は椅子に登って教室の掲示物の貼り替えをしていた
古いものを外して新しいものを画鋲で留めて
周囲には生徒たちがお手伝いする!と我先に駆け寄って、外した掲示物を受け取ったり、新しい掲示物を渡したり皆で協力していた
私も例に漏れず先生の手伝いをしたくて近づき、椅子に乗ってる先生が棚に置いてる画鋲を取りにくそうにしてるのを見て、画鋲を手渡ししようとした。
しかし受け取ろうとした先生の手に画鋲の先が当たり、「痛っ、痛い!」と言う
慌てて持ち直して渡そうとしても同じだった。
「もうやらなくていいからあっち行ってて!」
この出来事が大体の私の人生の縮図だと、20年経った今思う。
なぜ不器用なんだ
なぜ同じように出来ないんだ
なぜ皆には見えてるものが見えない
なぜ皆には聞こえてるものが聞こえない
なぜ慎重に言い放った言葉が浮く
私にも目や耳や口は備わってる
でもそれは本来の半分程度にしか役立たずだ
「人並み、普通、当たり前」
この言葉が憎たらしくて羨ましくて妬ましい
「個性なんてみんな在る」
「みんな違ってみんな良い」
この言葉達も邪魔で仕方が無い
みんな良いなら何故「モテる、モテない」の概念が現れる?
それは一定の評判、感性が存在するからだ
必要とされる人間とそうでない人間は必ず分類されるのだ